No342 岡山・佐伯天神山 城址跡をブラリ


そろそろつつじも終わりの天神山に登ってきました。かなり新芽が出ているので、見頃は1週間ほど前だったかな?
ちょうど60キロあまり西にもつつじのきれいな天神山がありますが、区別するため地名をとってこちらは佐伯、あちらは成羽を頭に付けています。
佐伯天神山は吉井川の左岸にそそり立つ、標高こそ低いですが急峻な山で、戦国時代,宇喜多直家に滅ばされた浦上宗景の47年間の居城だった天神山城址が1300mにわたって尾根上に点在していますが、建築物はありません。
8:00自宅を出発します。山陽道を和気で降りR374を北へ走り、和気の町を過ぎるとやがて吉井川左岸の堤防上を走ります。
ICから約9.5キロ、吉井川が北から西へ大きくカーブする地点右に(天右門別神社)があり、登山口は神社左手にあります。
ここから旧国道が右の集落に向かって分岐しており、以前はこの道の広くなった路肩に駐車していましたが、数年前より50mほど西のコミニューテイセンターに駐車してください、の注意書き看板が立てられました。
支柱から外れ草むら落ちた看板。

国道から一段下ったところにあるコミニュテイセンターの広い駐車場に8:50着です。

準備を済ませ8:55スタート、集落の中をブラブラ歩いて登山口へ。新しいトイレが設置されています。

いきなりの急登です。この山はつつじで有名ですが、花は最盛期も終わりかなり新芽が出てきました。

一か所ロープの張られた簡単な岩場を登ると、(武者おとし上の石畳)です。

大岩の上に立つと、西側の展望が一気に開けます。ゆったりと流れる吉井川と堤防上はR374です。上流を眺めています。

少し登ると見張り所に着きます。

見張り所からの展望。先ほどとの写真より少し登っただけなので ほとんど変わりません。

下流方面です。吉井川の流れを調整する新田原井堰が見えます。左の山の斜面には今にも転がり落ちそうな危なっかしい岩が見えます。

アップすると、二つの大岩はそれぞれ固定しているワイヤーが見えます。

このあたりより少し緩やかな登りに変わります。


天神地蔵です。30㎝ほどのかわいいお地蔵さんです。


天神地蔵の岩場からを下ろすと、吉井川が西から南に大きく蛇行、下流に井堰があるためほとんど流れはありません。対岸の山は魚、私にはナマズの頭に見えますが・・・・

つつじ街道はそろそろ終わりです。

緩い斜面をを登りきると城址跡で、最初は下の段になります。

本丸跡に設置されている初期の天神山城鳥瞰図です。下の段から始まり南の段まで、現在は建物は残っていませんが、壮大な規模の山城だったことが想像されます。

次の西櫓台跡を過ぎると三の丸跡です。北西側の展望が開け、東屋が建てられています。


鍛冶場を過ぎると大手門跡です。

時代の変遷を見つめてきたのでしょうか、かごのきの大木。樹皮が円くはげ落ち、鹿の子模様になることから名付けられたそうです。


桜の馬場跡、帯曲輪跡、長屋の段跡と歩くと二ノ丸跡です。

二ノ丸跡から空堀を越えると本丸跡に着きます。



本丸跡からは広の段跡、飛騨の丸跡,竪堀跡、馬屋の段跡、南櫓台跡、空堀跡を過ぎると水の手といわれるコルに下ります。

コルからは少し傾斜がきつくなります。

途中に亀の甲があります。

急坂を登って行くと、下の石門、上の石門と続きます。

太鼓丸手前の見晴らしのいい大岩に着きました。

ここから北方を見ると、田土の棚田が広がっています。。

岩場の南に太鼓丸城跡が広がっています。


本丸跡に建てられていた鳥瞰図と同じ内容ですが、こちらの方が立派です。




本丸跡から少し先に軍用石です。

太鼓丸跡からはほぼ平坦な地形ですが、途中に三等三角点天神山が設置されています。

ここから先は石門、本丸跡、堀切、郭、曲輪、根小屋などがありますが、雑草や樹木が茂っています。

道は(和気美しい森)のビジターセンターに向かって続きます。

美しい森が見えてきました。

案内板です。


舗装された遊歩道を進むと、ビジターセンターに着きました。時刻は10:30、登山口から1時間半かかりました。


私たちは美しい森の裏口から入ってきたので、一度外に出て改めて正門から入り直しましょう。左の建物がビジターセンターです。和気鵜飼谷温泉の方から車道がここまで登ってきています。

係のおばさん二人が出てこられ、中を見て下さい、熱心にすすめられますので、中に入って見ます。
和室・洋室の宿泊室、展示室、調理室、浴室等があり、原則自炊になっており、外には備前焼や木工が体験できる設備や、キャンプ場、バンガロー、多目的広場などが整っています。
センター前のベンチで、まだ早いですが食事の用意をしていると、中の調理室を使ってください、と親切に言ってくださいます。
しかし気を使うし天気もいいのでていねいにお断りし、ベンチで食事をします。
11:05 ビジターセンターを後にして下山です。車2台なら1台を回しておく手もありますが、同じ道を引き返します。
11:40広の段の南端に建つ天津社まで戻ってきました。

広の段に登らずに下を巻く道がありますが、天津社下が二又になっており、左侍屋敷跡に下る道を歩きます。

四十曲と言われるジグザグが切ってあり、展望もなく退屈な道をどんどん下ると、やっと侍屋敷の道標があります。

道標を左折、侍屋敷はすぐです。12:00最初に着いた広場は ぐるみの段です。


その奥は中の段。

その上方の石垣が上の段です。

中の段の少し下に下の段がありますが、同じようなものなので引き返します。
このあたりまで降りてくると、下の国道の車の音が聞こえてきます。12:15登山口に下りてきました。

登山口には大きな侍屋敷の配置図の説明看板が設置されています。

ここから駐車場までの約1キロは舗装された自転車専用道路歩きです。
片鉄ロマン街道と名付けられたこのサイクリングロードは旧片上鉄道の廃線跡で、1991年(平成3年)7月1日に鉄道は廃止されました。
片上鉄道は赤穂線西片上駅近くの片上港から、約34キロ吉井川沿いに北に入った同和鉱業棚原鉱業所から掘り出された硫化鉄鉱などの輸送に建設された鉄道です。
採掘された鉄鉱は当時は傍を流れる吉井川を高瀬舟に積み込まれ港に運ばれていたそうです。
鉄鉱石輸送と一般旅客輸送も行っていましたが、円高による鉱石産出量減少で輸送はトラックに切り替えられましたが、やがて鉱山も閉山されてしまいました。
もともと沿線人口希薄地帯のうえ過疎化がすすみ、残っていた旅客輸送も見通しが立たず、1991年に廃止されてしまいました。
現在は終点の吉ケ原駅周辺は(棚原ふれあい鉱山公園)として整備され、毎月第一日曜日は保存会のメンバーにより、動態保存されている車両による展示運転が行われています。
保存車両は11両で、旧国鉄からの譲渡車両で現役最後のキハ41000形も保存されています。
(キは気動車、ハは旧の呼び方で3等車、現在の2等車。JRの普通電車はモーターのモからモハ。車体側面に記入されています)
また一時騒がれたネコの駅長も第一日曜日に吉ケ原駅に出勤。人気のあったコトラ駅長は平成24年に退職し、現在の駅長は二代目ホトフです。
余談になりましたが、数人の自転車とすれ違います。前方は第一、第二天神山トンネルです。

R374に沿ったサイクリング道を私も一度だけ走りましたが、途中にプラットホームや信号機が残っており、また100m毎の距離表があり、鉄道フアンにはワクワクするサイクリング道です。
下の2枚の写真は2011・3撮影


ありし日の終点吉ケ原駅とキハ303形気動車(旧国鉄キハ41000形気動車)保存会の資料をお借りしました。

12:30 駐車場に戻ってきました。駐車場横から眺めた天神山城址左と右太鼓丸城址のあるピーク。

12:35出発、帰りはいつもの和気鵜飼谷温泉に入って汗を流します。

[データー]
自宅8:00⇒山陽姫路西(山陽道)和気⇒R374⇒河本コミニュテーセンター駐車場8:50
出発8:55→登山口9:00→本丸跡9:50→太鼓丸跡10:15→三角点10:20→ビジターセンター10:30~11:05→侍屋敷分岐11:40→侍屋敷跡12:00→登山口12:15→駐車場12:30
出発12:35⇒和気鵜飼谷温泉12:40~13:25⇒往路ピストン⇒自宅14:10
(走行距離 約140キロ 歩行距離 約6キロ 累積標高差 約420m)

