No219 岡山・津山市の矢筈山
昨夜佐渡から帰ってきたばかりだが、今日は火曜日の3人組との山行だ。
火曜日は佐渡だったので今日に延期したのだが、一人用事が出来たので3人になった。
行き先は顔を合わせた時に決める事が多いが、今日は近くに決めていたものの、さてどこにしよう・・・
思いついたのが津山の矢筈山。「大山の近くの矢筈山なら知っているけど、岡山にも矢筈山があるの?」
これで矢筈に決定だ。
8:15 姫路を出発。播但道から中国道に入り津山で降りる。R53から県道6に入りICから約19キロ、右手に千磐神社があり、ひろ~い駐車場に車を停める。9:40
津山市の矢筈山は標高756.4mで、 草刈衡継が天文元年(1532年)に矢筈城(高山城)を築いたが、東西1600m、南北500mの規模を誇る全国でも指折りの高地にある規模の大きな山城で、下を流れる加茂川から標高差430m~480mあり、城としては結構厳しい要害の地だった。
草刈氏は戦国大名の毛利氏に属していたため、たびたび秀吉等の軍政から攻撃を受けたが、その都度撃退し、天正12年(1584年)毛利輝元や吉川元春からの要請を受け退城するまでの52年間、一度も落城しなかった難攻不落の堅城だった。
支度をして9:50スタート、知和神社には帰りにお参りすることにして、先に山に向かう。登山の前後に手を合わせるのが本来の姿だが・・・
神社の右側に登山口がある
急なジグザグ道を登るとさっそく堀切に出た。ここからは植林の尾根道になる。堀切の右上の狭い台地には櫓台が設けてある。
杉木立の間から知和の集落を見る。
途中の道標
景色は植林から自然林に変わる。やはり山は緑だ。
大岩に着いた。名前負けしそうな岩だが、岩のない山にとっては大きいのだ。
虎口(こぐち)。虎口とは城郭の出入り口で、城攻めの時は攻防の要所となる。上に伝城門とある。
次の堀切に出た。その向こうは土塁跡。
狼煙場跡。その後方一段高いところは櫓台。
このあたりは小さなサンショがあちらにもこちらにも、と非常に多い。
三本並んだマムシソウ
三重堀切。長い年月で人工物は自然に帰りつつあり、三重が確認できなかった。
三の丸跡。まっすぐ北に、JR美作河井駅に下って行く道を分ける。
11:35矢筈山山頂に着いた。
想像図
木陰でお昼にする。
上の写真右側の紅い←のたるんだ布を引っ張り上げると御覧の通り。
四等三角点矢筈山。
北は那岐連峰、左から那岐山、滝山、広戸仙と並び、右端の樹木に隠れているのが山形仙。
三角錐の桜尾山
雲行が怪しくなってきて、今まで見えていた泉山が隠れてしまった。
12:25 だれも来ない山頂を50分ばかり独り占めしていたが、雨が来ないうちに、急いで下山しよう。
すぐにパラパラと雨が落ちてきた。しかし5分ほどで雨はやみ、空が明るくなってきた。
大岩を過ぎ樹間から下の景色が覗く。ちょうど美作河井駅13:20発の津山行きが通過中だ。
最初は三の丸から河井駅に下り、この列車で登山口近くの和知駅までの一駅も考えたが、これを逃すと16:54発まで列車がない。なにしろこの因美線は典型的なローカル線、美作河井駅は一日5本のダイヤなのだ。
登山口に降りてきた。神社の方に回ってみる。
知和神社には樹齢660年・高さ40mの二又の大杉があり、その杉に臥龍藤という樹齢600年の藤が杉に巻きついている。
神社には無事下山の報告をして車に戻る。時刻は13:45。
さて帰りは温泉行き。道沿いから少し入った所にある、おなじみ加茂町の(百々温泉)だ。
「どうどう」と読むのだが、ちょっと読みにくい。14時ジャスト到着。
1時間あまりのんびりして、16時半頃姫路に帰ってきた。
矢筈城址保存会の方々が定期的に整備されているそうだが、やはりお役所の手を借り、貴重な財産を後世に残す為に、道標、案内板等の整備充実をお願いしたいところだ。
[参考データー]
姫路8:15⇒砥堀IC(播但道・中国道)津山IC⇒R53⇒県道6⇒知和神社駐車場9:40
出発9:50→矢筈山頂上11:35~12:25→駐車場13:45
駐車場出発13:50⇒百々温泉14:00~15:05⇒往路引き返し16:30姫路着
(走行距離 約220キロ 歩行距離 約4.8キロ 累積標高差 約510m)