みちくさおじさん山を歩く

雑 記 NO1 2010・6・29 (火)

事情でしばらく山から遠ざかっているので、ブログを更新するにもネタがない。先日、この際だから物入れの中でも整理するか、と奥深くにしまいこんでいる、やけに重いダンボール三つを引きずり出した。
はて、この中身は何だったっけ?何年、いや何十年もさわっていない開かずのダンボールで、カビ臭い独特の匂いがする。

古いノートや小箱にしまい込んだ定期券、国鉄の切符、古い地形図や登山地図、鉄道雑誌、時刻表、写真のネガ・・年代物が続々出てきた。

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変色したノートを開くと「山の記録」と大きな文字が踊っている。

ページを繰ると、NO1 昭和40年8月13日~17日、横手山~草津白根山と乗鞍岳(単独)とあり、「過去にハイキング程度で雪彦山や峰山高原を歩いた事はあるが、今日から本格的な山歩きをするぞ!」なんて書いてある。

何故この山を選んだかは書いていないが、趣味の旅行も財布の許す限りそろそろ限界で、山に関心が向きかけていた頃だ。ただ軽井沢はまだ未知の世界で行きたいと思っていたので、白根山から草津温泉に下り、バスで軽井沢に抜ける計画を立てていたようだ。

軽井沢はキリの夕暮れで、幻想的な光景が広がっていたとある。軽井沢から東京に出て親戚に一泊。デパートに寄り登山地図を見て乗鞍岳を購入。お盆休みで日はあるし、帰りにどこかに寄るつもりだったのだ。

上高地は名前は聞いたことはあるがどこにあるか知らなかったが、地図を見て、上高地ってこんな所にあるのか、乗鞍行きのバスも出ているので、ついでに行ってみるか、で始めて上高地入りをする。きれいな所だなあ、だけの印象で、奥の方に高い山が聳えている、と書いている。当時は知らなかったが穂高だ。
ここから乗鞍行きのバスに乗り、頂上へ。そして帰りは木曽福島行きのバスに乗る。

昔は関西・中京方面から乗鞍や上高地へは、松本より近くて早い木曽福島や上松からのバス利用が多かった。
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最初は丁寧だった内容も、だんだん邪魔くさくなったのだろう、日時と山名だけになり 「後日思い出しながら書いたので、抜けている山もある。特に裏庭の山を歩くように通い続けた六甲の記録は・・・」 

そしてNO217、昭和56年9月穂高岳でこのノート終わっている。この間に結婚しているので、数年間はパラパラ程度の山行になっている。

最初の山はさすが記憶に残っているが、2回目からはいつどんな山に登ったか記憶がなかっただけに、これは貴重な財産である。

車社会の前だけに移動は公共の交通機関だから、山に入るのも大変だった。

例えば昭和41年の那岐山の記録を見ると、前夜に姫路駅近くにあった喫茶店「月ケ瀬」に集合、閉店までねばり、4:43発の姫新線経由広島行始発列車まで、駅前でおしゃべりをする。

この始発列車(もちろん蒸気機関車)の津山着は7:29で運賃330円。バスで日本原へ。運賃90円。バスの便が少ないので、これを逃すと日帰りができないとある。まず滝山に登り那岐山へ縦走。
帰りは津山20:41発しか列車はなく、これに乗ると姫路着23:08になる。
コンビニなんてない時代、飯盒でメシを炊き、カレーで昼食、とある。

単独で登った木曽駒ケ岳。
まだロープウエーがない時代で、中央線木曽福島から登り、頂上の天狗荘で一泊。翌日は飯田線駒ケ根駅に下る。

ところが頂上から少し下ったあたりで激しい雷雨に会う。あわてて岩陰に隠れるが、雷は谷筋から、横から上からと四方八方から襲ってくる。金属類はジーと音を発し、山での雷の恐ろしさを始めて知った。山ではラジオを持ってきて天気図を書く必要がある、と書いてある。

お陰で辰野に行く電車に間に合わず、駅のベンチでゴロリ。東京から来た3人グループと親しくなる。駅には他に3人眠っていた。
昔は列車本数が少なく、駅のベンチで夜を明かす登山者は結構多かった。

なお木曽駒と言えば千畳敷カールを連想するが、ロープウエーが開通するまでは登山者だけの世界で、今のような賑わいはなく、そう有名ではなかったようだ。
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昔の記録を読んでいると、今の登山はすべてが恵まれているとつくづく思う。やはり時代の違いだ。昔を語るのは歳をとったせいだろうが、山の世界も激しい変化の歴史があり、現在と比べるとやはり懐かしいものだ。

又いろいろ機会を見て昔の登山を回想したいと思う。

by hotaka443 | 2010-06-29 07:54