No222 岡山の佐伯天神山
佐伯天神山は戦国大名の浦上宗景が築いた山城で、宗景一族が50年近く居城した頑強な城である。最後は見方の裏切りで落城した、悲運の城でもある。
昨夜遅くまで雨が降ったので足もとが悪いが、予定通り車2台で佐伯天神山に向い、9:05河本の(ふるさと会館)前の駐車場に着いた。
もう少し先に(河本コミニュテイハウス)があり、そこに駐車場があるのだが、習慣になってしまっている。
9:35準備を済ませ出発。登山口はR374沿いの天右門別神社左側に(天神山城址登山口)がある。
いきなりの岩の多い急登だが、雨に濡れた枯れ葉は滑りやすい。
一か所ロープが設置された岩場。
さらに急登を続けると、見晴らし所に着く。
西側が切れ落ちた大きな岩の上で、眼下に昨日の雨で濁った吉井川がゆっくりと流れている。
これは上流だが、吉井川は天神山の下で大きく蛇行、淵を作っている。
下流には吉井川の流れをコントロールする 新田原井堰が見える。
前回に撮ったパノラマ。前の山をよ~く見ると、なんとなくナマズの顔に見える。
見張り所から少し登ると天神地蔵があり、見張り所の上なので、同じ景色が広がっている。
このコース、春はツツジのトンネルになる。
10:45急な登りが終わると下の段でその上が西櫓、その一段上が三の丸で、東屋のある休憩所が設けられている。
上の写真ではどことなく陰気で、腰を下ろそうか、という気になれないが、一か月早いと桜が咲き春ウララ・・・のんびり休憩したくなる所だ。
ここからは多少のアップダウンはあるが、狭い尾根上に次々現れる城址の説明板を見学しながら歩く。
かごの大木
二の丸跡
本丸跡
傍に鳥瞰図がある
現存する石垣、建物跡などは全くなく想像の世界だが、吉井川に急峻に落ち込む天神山は、城を築く上では絶好の地形だったことがうかがえる。
本丸の後ろの一段高い所に祠が祭ってある。
ここからは緩い下りになり、最後は一気に堀切に下る。
堀切からはすぐに急な岩の登りになる。
ここからは時代が変わり前期の天神山城址になる。下の石門・上の石門などを過ぎると 太鼓丸城跡に着く。
ここには前期と後期をまとめた大きな鳥瞰図が設置してある。
広場の北の端には大岩がある。
岩の上に立てば写真のような田土の美しい棚田が広がっているのだが、今日はあいにくのガスで視界悪し。
軍用石、石門を過ぎると、三等三角点天神山がある。
さらに本丸・堀切・郭・曲輪などを過ぎると、前期天神山城址は終わり、しばらく林の中を歩く。
急に前方が開け、(和気美しい森)に入る。
舗装された遊歩道を歩くとビジターセンターの建物が見えてくる。
裏口から歩いてきたので、一応正面入り口の門をくぐっておこう。
門の外は駐車場になっており、車はここまで上がってくる。
城をイメージしたビジターセンター。宿泊できるし、キャンプ場もある。
時刻は11:10。ベンチでお昼にしよう。
食後アイスクリームを頂き11:50下山にかかる。
10キロあまり距離はあるが、車を回送しておけばこのまま帰れるのだが・・・
帰り道アスレチック広場を覗いてみる。
オー あれがいいぞ!
童心に帰り、ヤホー・・・・
美しい森をあとにしてUターンだ。
下山は本丸まで戻り、侍屋敷跡に下る道をとる。四十曲がりと呼ばれるクネクネ道だ。
春は椿が目を楽しませてくれる道でもある。
展望もなく退屈な道はやがて侍屋敷跡への分岐に着き、左に少し進むと屋敷跡に着く。
何もない樹木の茂った狭い空間があるのみだ。
ここまで降りてくると登山口はもう近い。13時ジャスト、旧片上鉄道の廃線跡にある天瀬登山口に降りてきた。
侍屋敷跡の大きな案内版があるが、これを見ると 我々は(ぐるみの壇)に首を突っ込んだだけで 侍屋敷跡はかなり広範囲を占めていたことがわかる。
登山口から約1.8キロほどは廃線跡を歩く。昨年はこの道をサイクリングで走ったが、途中ホームや駅舎が残っており、信号機も残されていた。
片上鉄道は片上駅からJR和気駅に寄り、吉井川にそって上流の棚原町の棚原鉱山までの約34キロを結んでいた。
途中17駅があり、産出される硫化鉄を片上港に運ぶ一方で旅客輸送も行い、沿線住民の足にもなっていた。
終点の(棚原ふれあい公園)には一部の車両が動態保存されており、第一日曜日には展示運転が行われている。
ありし日の片上鉄道。パンフレッドより。
13:20ふる里会館に戻ってきた。駐車場から見る天神山。手前の峰が西櫓台あたりで、一番高い峰が本丸。右が太鼓丸城址。
13:30 駐車場スタートする。
13:40 和気といえば鵜飼谷温泉だ。汗を流し、サッパリしたところで帰途に着く。